先日、白泉社から出ている戦争漫画「ペリリュー-楽園のゲルニカ-」という漫画が完結しました。
作者は武田一義。
前々から面白いと評判だったのですが戦争漫画なのに絵柄がコミカルでちょっと自分的に受け付けないなと思って読むのを躊躇っていました。
しかし、ちょうどブックオフで全巻セットが安く出ていたので「完結したし良い機会だ」と思って買って読んでみました。
そしたら、すぐにめちゃくちゃのめり込んでしまって一気に全部読んでしまいました。
もっと早くに読めばよかったー後悔先に立たずですね。
という訳で今回はこのペリリューの感想をまとめてみたいと思います。
思いっきりネタバレを含みますのでご注意を。
それでは始めていきたいと思います。
簡単なあらすじ
時は太平洋戦争末期の昭和19年、1944年。
主人公は漫画家志望の田丸。どこにでもいる普通の青年です。
この田丸が、パラオにあるペリリュー島へ兵隊として送られます。
ペリリュー島はちょうどフィリピンとグアムの間あたりに位置していて日本からは3000kmほど離れています。
当時は日本の占領地でした。
この島はとても小さな島だったのですがこの周辺では一番しっかりとした空港があったことからアメリカからしても今後フィリピンを日本から奪還するためにも非常に重要な軍事拠点とみなされました。
そのためペリリューには日本兵が1万人しかいなかったのにアメリカ軍は4万人の大艦隊を派遣します。
なんとしても日本からペリリュー島を奪還したいアメリカは総攻撃を仕掛け初めは日本も対抗していたもののすぐアメリカに占領され日本兵はゲリラ戦になっていきます。
ゲリラ戦というのはジャングルや洞窟に身を潜めて隠れながら相手の隙をついて攻撃する戦い方です。
何せペリリューは南国なのでジャングルの茂みや洞窟、それからスコールという土砂降りの雨が多くそれに身を隠す日本兵との戦いにはアメリカも苦戦したようです。
アメリカは洞窟を火炎放射器で焼いたり、手榴弾を投げたりしてゲリラ戦に対抗し徐々にアメリカがペリリュー全土を掌握していきます。
田丸をはじめとする日本兵は散り散りになってアメリカの攻撃から逃げ、何とか生き延びようとします。
食べ物も付き、水も満足に飲めず餓死する人や病気になって死んでいく人も続出していました。
そんな中田丸は仲間の吉敷らと共に行動し必死に生きようとします。
田丸は漫画家志望で絵が上手いことから功績係に任命されます。
功績係というのは、戦死した人の功績を本土の家族の元へ伝えるために記録に残す係のことを言うそうです。
田丸はこの役をこなしながら洞窟の中で絵を描いて気を紛らわしています。
田丸は仲間の家族の似顔絵を描いたり花札の絵を描いて遊んだりして長いゲリラ戦のひとときの娯楽を提供したりします。
しかし、日本からの増援が来ることもなく長きにわたるゲリラ線は日本が終戦したことも知らずに続きます。
終戦したにもかかわらずまだ戦争は続いていると思っている兵士たち。
アメリカ軍に忍び込んでゴミ捨て場から新聞を拾ってきてそこに終戦したことが書いてあるのにも関わらずそれは相手の撹乱作戦であるとして信じることができない上官たち。
もう体力も精神も極限まで追い込まれています。
そんな末期的な状況の中、すっかり田丸と仲良くなり信頼関係の芽生えていた吉敷はアメリカ軍に投降しようと決意します。
投降は見つかれば日本の軍規では死刑です。そんな危険なリスクを冒してまでアメリカ軍に投稿しようとしたのは仲間の病気をアメリカに見てもらうためでした。
仲間のためにあえて危険を冒す。
しかし、二人は内通によって見つかってしまいます。
田丸たちは死刑になってしまうのか?
ここで色々とドラマチックな展開が起き、最終的に田丸はアメリカに投降しました。
そこで、アメリカ兵からきちんと終戦したことを知らされ、やっぱり終戦していたことは本当だったんだとびっくりする田丸。
しかし、まだ洞窟に隠れている日本兵はそれを信じることができません。
どのようにして信じさせるのか?
ここで田丸の功績係としてのメモが生きてくるのでした。
果たして残りの日本兵たちは投降しペリリューから日本へ帰還することが無事にできるのか?
ここは漫画を読んで確かめてみてくださいね。
結構最後の方はドラマチックな展開が続いたので手を休めず一気に読んでしまいました。
で、読了後に色々と思ったことがありますので次はそれを書きたいと思います。
タッチがコミカルでデフォルメされている
コミックのカバーイラストから分かるようにかなり描写がコミカルで人間もデフォルメされて描かれています。
これが最初読まず嫌いだった理由でもあるのですが、読んでみた結果このデフォルメされているのが逆に良かったんだなと思いました。
と言うのも、このペリリュー島の戦いは相当に悲惨な内容になっています。
コミカルなので結構そのまま流して読んでしまうんですけど、映画とかだったら描写がキツくて映せないような場面が沢山あります。
例えば、仲間どうしで撃ち合ったり、食い物がなくて餓死したり、薬がなくて怪我が直せなかったり、飢餓時の極限状態で人間が行う最も悲惨な行為だったり。。
後は普通に戦争の描写も相当すごい戦闘を繰り広げています。
そいった描写をリアルに描いて戦争の悲惨さを伝えていくのも勿論正しいことだしやっていかなければならないことでしょう。
しかし、この漫画のようにあえて描写はコミカルにぼかして書くことでリアルでは得られない効果が得られるのではないかなと思ったんです。
それは人間の心の描写です。
あえて過激な描写を避けることで悲惨な戦争の最中にいる人間が何を感じ何を思っているのかが伝わってきて、逆に戦争の恐ろしさが伝わってくるんですよね。
田丸はいつも「お母さん」と母親のことを思い出して生きて帰りたいと願います。
また仲間が死ぬ光景を見て田丸は色々な感情を抱きます。
そういった気持ちが感情移入しやすくて自分にもジワッと伝わってくるんですよね。
「ああ、戦争はあかんな」
そう直感的に感じることができるんですよね。
だからこの漫画のコミカルさってのは逆に良かったんだと思います。
田丸って本当普通の青年なんですよ。
戦闘がめちゃめちゃ強いとか頭がめちゃめちゃ切れるとかじゃないんです。
当時戦争に参加した日本人のほとんどが普通の青年だったと思うんですけども、だからこそ自分もその時代に生きていれば赤紙によって召集され田丸と同じような感情を抱いたんじゃないだろうかと思うんです。
その時代に生きているという同時代性を与える効果があったんですよね。
だから面白いと評価されるんでしょう。
没入感がすごいんです。
普通だからこそなし得た米軍投降
田丸は本当に普通の青年です。
軍の中でも目立たない存在だったでしょう。
友人の吉敷のように才覚がある訳でもありません。
洞窟の壁にもたれかかって暗闇の中で手帳に絵を描いていれば満足できる人です。
そんな田丸が最後アメリカ軍に投降して結果日本人全員を国に帰すことに成功します。
田丸って普通なんですけど、普通じゃない部分があります。
それはずっと普通でいられる、正常でいられる部分です。これが普通じゃない。
多分戦争のしかも今回のペリリューのような極限状態なら人って性格が変わって当たり前だと思うんです。
普通の考え方なんかできなくて当たり前。
アメリカのすることは全て日本を騙すことだと思って当たり前。
漫画の中でもよく出てくるんですけど、アメリカ軍って洞窟の中を火炎放射器で燃やす前に「投降してきたら危害は加えない。5分待つから出てきなさい」と言ったり終戦後も「終戦しているから投降しないさい」ってビラを巻いたりしているんですよね。
でも日本兵は信じない。田丸が投降後に「日本兵は終戦やアメリカの言うことを全く信じていない」と言ったことにアメリカ人が驚いていましたから。そうこまで疑心暗鬼になっているのかと。
でもそれが普通ですよね。死ぬことが当たり前になっている世界ですから。
でも、田丸は普通におかしいと思ったことはおかしいと言える普通の感性がずっとあった人なんですよ。
だから、アメリカ軍から盗んできた新聞を読んだら「もしかしたら日本はとっくに負けているのかもな」って疑えるんですよ。
作中に小杉っていう群れずに一人行動をする人物がいるんですけど、小杉も正常に判断できる人物でした。しかし、この人は自分が生きるためなら仲間を裏切ることも厭わない人間で、最後は死んでしまうんですよね。
でも田丸は仲間のことも信頼しているんです。
そんな田丸だからこそ、仲間を助けるためにアメリカ軍に投稿することが正しい行動だと選択でき、その通りに行動できたんだと思う訳です。
戦争中だから正常な判断能力を失っていて当然なんです。でもそれができていたのが凄いです。
田丸は本当普通の青年として描かれていてヒーローってキャラじゃないんですけど、その地味さが逆にこの漫画では際立っていたんです。
芸術家の感性があったからこそ保てたメンタリティ
作中にさらっと描写された部分があります。
小さな子供が空襲の際の米軍の戦闘機を見て「かっこいい」と言って怒られる場面で、田丸の母はそれを見て、きっと田丸がいたら同じこと言っただろうねと言うんです。
本当さらっとした描写だったんですけど、「かっこいいものはかっこいい。」「美しいものは美しい」と田丸は思う人間だったんです。
それは日本とかアメリカとか戦争とか関係なく見たものそのものを良いと評価できる感性の持ち主だったんです。
芸術家の感性とでも言いましょうか。
自分がいいと思ったものはいいと思う。
そういう感性があるからこそ、極限状態の中でも周りの意見や軍規などお構いなく「仲間を助けるべきだから米軍に投降する」と言う判断ができたんじゃないでしょうか。
戦争中日本では芸術家の活動が抑制されていて、自由に表現できていませんでした。勿論戦争反対や日本が負ける描写などは全くできなかった。
だから、この田丸の芸術家の感性が結果日本人を救うことになったと言うのは戦争と芸術の規制に対するアンチテーゼとして描かれているのかもしれません。
芸術っていうのは良いものなんだよと。
無闇に規制するもんじゃないよと。
そう考えたらペリリューって絵は結構深い作品だなと思えたのでした。
そういえば、副題が「楽園のゲルニカ」ですもんね。
南洋の自然が美しい楽園で起きた戦争だからこの副題なのかなと思っていたんです。
でもよく考えたらピカソのゲルニカって反戦運動とか抵抗のシンボルですもんね。
だから、この漫画も芸術による戦争への抵抗という意味が込められているのかもしれません。
そんな感じです。
それでは!
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