Netflixの「マンハント:謎の連続爆弾魔」の感想。面白さはここにある!【ネタバレあり】

どうも、こんにちは。

本日は最近見て面白かったNetflixのオリジナル作品「マンハント:謎の連続爆弾魔」の感想や面白さについて話していきます。

この作品は元2ch管理人のひろゆきが面白いって言っていたので何の気無しに見てみたら予想外に面白かったのでシェアしたいと思いました。

同名の映画として福山雅治さんが主演を務めているものもありますがそれとは違います。今回はネットフリックスのオリジナル作品の方です。

ネタバレを多く含みますのでお気をつけください。

目次

「マンハント:謎の連続爆弾魔」のあらすじ

この作品はアメリカで起こった連続爆破事件の犯人ユナボマーを捕まえるお話です。

何がすごいかと言うとこの事件は実話だってことです。

アメリカで1978年から1995年までの17年間に起きた本当のお話なんです。

ユナボマー(本名セオドア・カジンスキー)はこの17年間の間に3人を殺害し、23人に重軽傷を負わせました。

この被害者はいずれも科学技術関連の仕事をしている人で、どの事件も爆弾を郵便で届けて爆破しているのです。

誰がやったのか分からない完全犯罪で17年間もの間手がかりすらつかめていなかったのでした。FBIが最も時間と金をかけて捜査して捕まえた事件だそうです。

このドラマのタイトルのマンハントというのは犯人捜索、犯人捜査という意味です。
このタイトル通り、捕まえるのが最も困難だったユナボマーをどうやって捕まえたのかという実録映画なんです。

実際に、このドラマの中でも映像が出てくるのですが、小包が送られてきてそれを開けるとドカンと大爆発が起きます。
こんなの怖すぎでしょ?
今なんか毎日Amazonから何かしら購入したものが届くので、何が何かよく分からず開けますからね。
ユナボマーが今これをやったら本当に恐怖でしかない。

しかもユナボマーは2年飛び級でハーバード大学に進学する神童で元数学者。頭がよく犯行も完全犯罪を作り上げていきます。
だからFBIといえどもユナボマーを捕まえることができない。
アメリカ中がこの事件に震撼します。
で、この事件をどのようにして解決していくのか。ここが面白い部分です。

この事件を解決したのは新米のプロファイリング捜査官のジム・フィッツジェラルド。
天才数学者のユナボマーに対抗したのが新人FBI捜査官だったんです。アカデミーを卒業してすぐでした。その前は町の警官で非行少年の取り締まりをしているだけでした。

また、プロファイリングによる捜査は今でこそよく聞く捜査手法かと思いますが、当時は今ほど受け入れられていなくて捜査本部でもフィッツはあまり頼られず蚊帳の外に追いやられる立場でした。

そんな状況の中いかにしてフィッツは頭角を表し、プロファイリングを使ってユナボマーを捕まえていくのか。
これが今回の見どころです。

さらにこのドラマは単に爆弾魔を捕まえるだけの映画だけではなくて、ユナボマーであるセオドア・カジンスキーの思想や生い立ちなども深掘りされていて深いです。
なぜ神童と呼ばれ天才数学者だった人間が連続爆弾魔になってしまったのか。

また、捕まった後の裁判の展開とカジンスキーのとる行動もまた見所かなと思います。

このドラマはよく見るとかなり深いところまで作られていて人間とは何か社会とは何かについて考えさせられます。

あらすじはこの辺にして僕が面白いなと思った部分について深掘りしていきたいと思います。

ネタバレを多く含みますのでまだの人は先にネットフリックスで見てからにしても良いと思いますよ。

ネットフリックスはこちら

https://www.netflix.com/

これまでになかった犯罪捜査手法を作り上げて犯人を特定していく

新米捜査官のフィッツが加入する前はユナボマーが誰であるのか手がかりが掴めず、作られた爆弾の様子から空港関連の工場で働くブルカラーの人間と一応考えられていました。
結果からすると大きく的が外れていたので、フィッツが加入しなければ完全犯罪となっていたでしょう。

ユナボマーは頭がよく尻尾を掴ませるということをしませんでした。しかも爆弾で犯行をするので証拠も吹き飛び手がかりが掴めません。
後から分かったことですが、ユナボマーは世間からは隔絶した生活をしており人間関係も希薄でした。

だから通常のこれまでの指紋や目撃証言といったものに頼った捜査では太刀打ちできなかったのです。

そこにプロファイリングを学んだフィッツが加入し、これまでの捜査を決めつけであると批判し、全て捜査しなすべきであると主張しますが頭が硬い上層部には通りません。

フィッツはそれでも自分で独自の捜査を続けていきますが、転機が訪れます。

それは航空機爆破予告事件が起きた時です。その時に爆破するという予告と爆破はしないという予告と二つあり、いずれが真実なのかと。
ここで、フィッツはユナボマーは実際に航空機を爆破するような人間ではないとプロファイル。結果がこの予測が当たり、フィッツは信頼を勝ち得ていくことになります。

このフィッツが取り組んだ新しい捜査手法というは比較言語学という手法。

犯人が書いた手紙の中で使われた言葉や言葉の使われ方などから犯人の性格を予測していくというものです。
当時は全く確立されていなかった手法ですが、フィッツはこの手紙からユナボマーの性格をプロファイルしていきます。

そこで浮かんできたのはユナボマーはブルーカラーではなく、大学を卒業し学位を持つ知能の高い人間であるという人間像です。

ここから更に言語学者のナタリーが助言に加わり、ユナボマーが送りつけた「産業社会とその未来」という論文の特徴から大学にいた年代や住んでいた地域などを特定していきます。

これが後に逮捕への大きな手がかりとなります。

しかし、それでもまだ比較言語学の見地から捜査するなど古い体質の上層部には受け入れられず、また犯人の特徴はある程度わかったものの具体的に誰かとなると分からなかったためフィッツは苦境に立たされます。

確かに大事なのは「じゃあ実際に誰が犯人なんだ?」という点であるのも頷けますよね。

で、大きく事態が動いたのが、ユナボマーが論文を新聞に全文掲載するのなら爆破をやめると要請してきた時です。

これで論文が全国紙に掲載されて、それを見たユナボマーの弟が自分の兄が犯人であるかもしれないと弁護士を通じて匿名で兄からの手紙をFBIに知らせます。

その話を聞いたフィッツはこの兄の特徴がプロファイルの結果と見事に一致し犯人に違いないと確信します。しかし、兄が犯人であると信じたくはない弟がフィッツに兄が誰であるかを話すのを躊躇います。ここでフィッツが先のプロファイルの結果を伝えます。
このプロファイルを聞いて弟は兄がユナボマーであると確信してしまいます。そして、兄の実際の名前を伝えます。
ここからユナボマーがセオドア・カジンスキーであることなどが判明。犯人逮捕へと大きく動きます。

弟がユナボマーはカジンスキーであるという超重要証言を行うきっかけとなったのがフィッツの比較言語学を元にしたプロファイリングでした。
周りに否定されながらも比較言語学の見地から犯人特定の研究をやめなかった努力が身を結んだと言えるのではないでしょうか。

この否定されても続けるというのは勇気のあることですが、それを続けて結果を出すという点が感動でした。

新しい捜査手法であるが故に裁判で使えるのかという問題点

さて、カジンスキーが逮捕されたら今度は裁判です。

新しい捜査手法によって逮捕できた訳ですが最終はカジンスキーを有罪判決に持っていくところがゴールです。

しかし、逮捕の決め手となったこの手法が裁判では不利になる可能性があります。

カジンスキーはまさにそこを突こうとします。

つまり捜索の決め手となった理由が比較言語学による本人の特定であった訳すが、これは前例がないと。
で、それがこの捜索が違法ならばそれに基づいた証拠物の差し押さえも違法であり、その証拠は裁判では使えないから無罪であると。

このように差し押さえ自体は正当だとしても、その前の捜索自体は違法ならば続く捜査も違法を承継するという考え方を「毒樹の果実」理論と呼びます。
もしもこのような捜査を許して証拠だけ使えるとしたならば警察は初めの捜索や逮捕を違法でもとにかくやって証拠だけ正当に確保せよという乱暴を働く可能性があるので違法性は後の捜査にも承継させるべきであると考えるのです。

これをカジンスキーは主張しようと考えます。

まさか、逮捕のために編み出した手法が裁判で使えなくなるとは!というスリリングさがありました。
無罪になりカジンスキーが外に出ればまた爆破事件を起こすかもしれないですからね。

しかし、これは弁護人の裏切りによって主張できなくなりました。
弁護人はカジンスキーの主張は取り下げて証拠自体は使えるようにして有罪に持っていき、責任能力の点で無罪を勝ち取ろうとしたのです。

あれ?これってカジンスキーにとって良い展開のようにも思えますよね。
でも違ったのです。

カジンスキーは精神病棟に行くことをひどく嫌っています。それならば自分は自害したほうがマシだと。
カジンスキーはあくまで自分はユナボマーであることを認めた上で無罪を勝ち取ろうとしていたのでした。

自分は過去に少々法律をかじったことがあるので背景の法律関係の観点からも見応えがありました。

カジンスキーの思想とこのドラマが伝えたかったこと

カジンスキー(ユナボマー)は幼少期は神童と謳われ2年飛び級でハーバードに進学する天才でしたが人間関係に恵まれませんでした。
友達には裏切られ、尊敬していた教授には裏切られ、次第に心を閉ざしてコロラド州の山の中で世間と隔絶した生活を始めます。

この過程で産業社会の人間にもたらす弊害について危惧を抱き、科学技術関連の人間を爆破していこうと考えるようになります。
いわく、人はテクノロジーの奴隷になっていると。テクノロジーに従順になってしまっていると。

このドラマの中では「人や車の全くいない道路で赤信号だから止まって待つ」という映像が何度が出てきます。
誰も来ないのだから赤信号で待つ必要はないのかもしれませんが人の作ったルールに従って信号機という機械の言うことに従っているのです。

フィッツもこのような考え方をするカジンスキーに一定の理解を示すような場面があります。
確かにそうした考え方は理解できますが、しかし犯罪を犯すことは許されることではありませんよね。

最後カジンスキーが収監された後フィッツが車に乗っていて誰もいない赤信号の交差点で車を止めて待つというシーンでドラマが終わります。
このシーンはとても象徴的ですよね。どう解釈するかは人それぞれだと思います。
僕はやっぱり人はある程度はテクノロジーに従わざるを得ない部分もあるよねってのを伝えてるのかなと。

だからカジンスキーのように全てのテクノロジーを否定して、更にテクノロジーに関わる人間も否定して自然に帰ろうなんて極端な原理主義的な考え方はどうなんだろうって視聴者に訴えかけているのかななんて思いました。

あなたはこのドラマを見てどういう感想を持ちましたか?

アメリカ映画によくあるドンパチやるような派手さはないのかもしれませんが、人間や社会というものを考えさせてくれる深いドラマだったのではないでしょうか。

それでは!

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この記事を書いた人

京都大学、京都大学大学院と進学し塾の先生をやっていましたが資格試験に失敗。
30代過ぎて職歴が無く就職活動も失敗し、自営業でスタートすることを決意。せどりと倉庫の日雇いバイトと家庭教師から始めて今ではせどり、情報発信、プログラミングで年収1000万ほどになりました。

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